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[ 2024/11/25 05:06 | ]
【黒●のバ●ケ】テーチスに捧ぐ【黄黒】
【テーチスに捧ぐ】
                       
すごく昔友人のために書いたもの。









「・・・あれ、黒子っちは?」
 早朝、全国中体連の表彰式の予行演習と呼ばれて来た体育館は、密閉された空気が早朝にもかかわらず蒸されて、酷く肌にまとわりついた。
 ここのところ毎日早朝と放課後深夜まで練習を重ねるために通っている場所なのに、どこか見慣れない場所のような気がする。たぶんそれは、連勝を飾る強豪校をインタビューしようと駆けつけるテレビ局の手前、小奇麗に紅白の飾り花があちらこちらに散りばめられているからだろう。バスケ部以外にも表彰台に上る部活はいくつかあったはずなのに、予行練習と呼ばれたのは彼らだけだ。
 先に体育館にいたチームメイトたちが、眠たそうにぬるい床の上を歩いていた。それもそのはず、集合時間は早朝7時。部活動に力を入れたい時期なのに、受験生だからと行われる早朝講義をはさむため、それより早い時間に強制登校である。
 前日決勝戦で優勝を勝ち取るまで、全力でボールを追いかけ続けた体には、いささか厳しい朝だった。天井が高い体育館の、目線の位置にある窓は細く横に長く、そこに切り取られる真っ青な空すら目に染みて煩わしい。
 眠たい目をこすり、体育館に集まった人影を数えてみると、どこをどうみても一人足りない。集合時間は午前7時。体育館の時計がずれているのだろうかと、左腕を上げて腕時計を確認したが、間違いなく午前7時10分を回っていた。
 彼が遅刻するなんて珍しいこともあるものだ。気配がないから気付かないけれど、基本的に真面目な性質の黒子は、いつも集合時間よりいくらか早く到着する。
 例えば今日のように体育館が集合場所でああるのなら、教室に立ち寄るのが面倒だからと、荷物を膝に抱えたまま座り込んで、文庫本の一冊でも眺めているのだけれど、もしくは体育館倉庫の中に入って、空気の抜けたボールをの手入れをしているのだけれど、そうでなければ、一人空気のいっぱい入ったボールをついて、一応は気にしているらしいシュートの練習をしているのだけれど、今日はそのどれにも当てはまらなかった。
 「誰か黒子っちみなかったスか?」
 部員の何人かが振り返り、辺りを見回したが、いない。元来気配の薄い彼が視界に入らないことに慣れきってしまった彼らは、黄瀬の言葉でようやく彼の不在を確認した。誰かが知らない、と呟く声にかぶせて、野太い体育教師の声が聞こえた。集合時間を定めておきながら、自分は10分以上も遅れての重役出勤。それに抗議の声を上げるのも面倒で、とりあえず指示通りに列を組み、体育館入場の練習から。
 何かの大会に優勝する度に行われる慣例行事のようなものだから、今更こんな面倒なことを、と正直思わなくもないのだけれど、学校とは得して形を大切にするものだから、まあ仕方がないのだろうと、納得したのはいくらか昔。黒子に面倒だと愚痴をこぼしたときに、彼がそう返してきたからだ。
 体育館の入り口に並んでもう一度振り返る。足音すら聞こえない。重役出勤してきた教師は、黒子の不在について、何も言わなかった。部員たちに黒子の所在について聞かないところを見ると、きっと教師側には連絡が入っているのだろう。
 バスケ部員ではあるし、日々走り込みを行って共に体力を鍛えている仲間ではあるが、どれだけ筋力トレーニングを重ねても細いシルエットが崩れない彼は、そういえばあまり体力はなかったかもしれない。
 淡々と話す口調や表情とは裏腹に、ずいぶんと粘り強いものだから、すっかり忘れてしまうけれど、彼は他の部員たちよりもこまめに休憩を取っていたし、監督もそれを容認していた。たぶん、訓練だとか、練習だとか、根性だとか、そういうものではカバーしきれないものはあるのだろう。彼はそれを気に病んでいたのだろうか。黒子が他の部員よりも休憩時間が多いことを、後ろ指差す者がいる中で、それでも彼がコートに立ち続けられたのには、それなりの実力が伴っていたからだ。けれどここ連日かつ朝から夜まで立て続けての試合は、彼の体にはハード過ぎたのかもしれない。試合中は苦しいの一言も聞かなかったし、その表情が歪むところも見なかった。それどころか、勢いを失いかけていた黄瀬の背中を叩いて、振り返ると、珍しく笑ってくれたような気がする。
 疲れてそのまま汗も拭かずに眠って、夏風邪でも引いたのだろうか。夏風邪は馬鹿しかひかないというけれど、ああ、彼に馬鹿という単語はいやに似合わないなと、少しおかしかった。
 珍しいこともあるんスね、と顔を見合わせて笑っていた。
 笑っていたのだけれど。
 

そして暗転。まるで舞台のようだ。真夏なのに全身が冷水を浴びたように冷える。たぶんそれは夏休み直前の、いやに入道雲がまぶしい真昼。冷たいとか、寒いとか、そういうことを感じる要素は何一つ無かったにも関わらず、昼食で膨らんだばかりの胃袋あたりを中心に、感覚神経など通っていないはずの髪の毛の端から足の爪の先の先まで、体温を失っていく、音がした。そう、体の急激な変化に耐え切れず、それらを脳が全て音として捉えた。舞台や映画の暗転なんて、たぶんその芸術作品独自の表現方法でしかなくて、目の前が真っ暗になんて、ないだろうと思っていたのに、今の黄瀬はまさにそれ。足元がずんと闇に抜けていく、そんな漠然とした不安が全身を冷やした。
 それは表彰式のあった日から、一週間ほどが経過したころだった。案の定地方局のテレビカメラが潜入しての表彰式の日、結局、黒子はどこにも姿を現さなかった。やはり風邪だろうと、そのときは大して気にも留めていなかったけれど、放課後も、翌日の部活動にも、大会の反省会や、役員の引継ぎを兼ねたミーティングにも、その姿を見つけることはできなかった。
 馬鹿しかひかないはずの夏風邪を、こじらせでもしたのだろうか。それとも、大会の帰り道に、何か事故にでも巻き込まれたのだろうか。けれど部活動に支障が出るような程度の怪我を負ったのなら、今後もこまごまと残っている練習試合や、引継ぎのこともあるのだから、部員たちには、少なくとも同じレギュラーメンバーの黄瀬には、知らせが入るはずだった。
 けれど黒子がどうしたのだという噂さえ、耳に挟むことすらなくて、彼の気配が薄いだけが原因ではないのだろうけれど。それに比べて、最近雑誌の紙面への露出が増えた黄瀬を、追いかける女子生徒は内外に増えて、いらない声はいくらだって耳に入るのに。どうして情報というものは、こうも不自由なのだろうとわずらわしくて仕方がなかった。
 バスケ部の役員の引継ぎが行われ、新しい部長が決まって、これからこの歴史あるバスケ部を云々の常套句。眠たいなとあくびをかみ殺す黄瀬を、いつもなら指でつついて嗜める黒子が今回ばかりはいなかったから、結局何も覚えていない。
ミーティングの直後は雑誌の撮影の仕事を挟んで、しばらく学校を休んでいた。中学生だろうと、受験生だろうと、プロとして見られるその世界で、ぐったり疲れてしまったから、会いたいと思ったときに脳裏に浮かんだ顔は黒子その人で、そういえばさすがに一週間はたつのだから、見舞いに行けなかった侘びも兼ねて、好物でも持って行こうと、一度転がったベッドから勢いよく跳ね起きて、蒸し暑い夏の夜の道に繰り出したのに。

 ばさっ

 「だ、大丈夫ですか?」
 悲鳴にも似た戸惑いの声。そこに色を含まない、純粋に驚いてるいるだとか、心配しているだとか、そういう類の声を久方ぶりに聞いた気がした。それでやっぱり、あの、月の光をたたえる夜の海のような、静かなあの瞳を見たいなと思ったのだけれど。
 黒子がいた教室の入り口で、彼の手に渡すことすらできずに、行き場を失って袋ごと手から滑り落ちたそれは、昨夜の高揚感の名残。ベッドを飛び降りて、閉店準備にかかっているスーパーに飛び込んで、得意の笑顔で疲れた顔のパートのおばちゃんを丸め込んでレジを打ってもらったそれ。さすがにラッピングまでは気が回らなくて、「すーぱーはなまる」なんて間抜けなロゴが印刷されたビニール袋の、マスコットキャラクターらしい笑顔を浮かべたまあるい太陽が、廊下に落ち皺がよって、いびつな形に歪んでいた。
 落ちた袋を視界に入れたけれど、てっぺんから先っぽまで冷え切ったからだとそれ以上に衝撃を受けた脳みそは、うまく反応を返してくれなかったから、じれたのかもしれない。情報をくれた黒子のクラスメイトの彼女が拾い上げようと手を伸ばした。
「やめろっ!」
 思わず叫んだ声は、毎日鍛え上げられた腹筋を有効活用してしまったせいで、知る人が黒子しかいなかった、赤の他人のテリトリーの、教室と廊下を隔てる横開きの扉から進入して、酷く響いて、昼休み特有のあわい喧騒を一掃してしまった。
 見ず知らずの、30人分の目玉が痛い。
 黄瀬は彼らを知らないけれど、彼らは黄瀬を知っているのだろう。それがどうしてか、このときだけは妙に怖いと思った。
 無理に動かない筋肉を動かして笑うと、女子生徒はどうやら納得してくれたようで、こうして顔の筋肉も鍛えられるのなら、雑誌に載るのも悪くないななんて、考えるくらいだからまだ余裕はあったのかもしれない。
「悪りぃ。割れ物入ってるから、女の子の手でも傷つけたら大変スから」
 何とか搾り出した言い訳はいやに苦しいものだったけれど、思いの他うまく動いてくれた表情筋をフル活用して、いつも以上の笑顔が作れた。彼女はいいえ、と少々頬を赤らめて、そんな彼女を見ながら、また黒子に会いたいと思った。
 そう思ったら喉の奥が熱の固まりでも飲み込んだように痺れて、笑顔が崩れそうな気がして、そうしたらそれ以上冷えようもないはずの背筋をまた氷で撫ぜられたような気がしたから、あわてて踵を返して教室を去った。

 思いのほか盛大に響いた足音から逃げたくて、闇雲に歩き回っていたら、いきなり視界に真っ青な空がひらけて、夏特有の不愉快なまでに清潔な真っ白の雲がぽっかり浮かんでいた。屋上までの階段を駆け上がった足は、さすがにいくらかの疲労を訴えていたけれど、どうしてこんなに疲れているのだろう。
 一応は立ち入り禁止のはずの屋上は、やはり人影はひとつもなくて、けれど端に寄ればグラウンドから見つかってしまう可能性があるわけで。戻る気には少しもなれないから、その場で立ち止まって空を見上げると、耳になれない重さを感じた。
 自然手がそこへ伸びて、帰ってきたのは冷たい無機物の硬い手応え。夏の日差しを浴びているのに、そこだけ冷たくて心地よかった。まるで彼の手のようだと、そこをぎゅっと握ると、開けたばかりのピアスホールがじんと熱い。

『いいんですか?』
 耳によみがえる言葉は、まるで隣でささやかれたかの様に鮮明だ。けれど、一週間以上昔に記憶に焼き付けた声。どんなに暑い陽射しにも、寒波にも、長時間の走り込みにも眉ひとつ動かなかった彼の瞳がわずかに揺れて、なんともいえない支配欲に満たされたような。
 それは全国中体連決勝戦の前日。その日も充分ハードな試合が続いた帰りに、彼の手を引いたら、思いのほか軽かったから、そのまま調子に乗って、その手を自分の耳に寄せたのだ。
『いいスよ。・・・てか、黒子っちが開けてくんないなら、俺が黒子っちに開けますよ』
『それは困ります』
 あまり動かない眉がかすかに中央に寄ったけれど、眉間の皺は刻まれなかった。たぶん、あまりそこの筋肉が発達していない証拠なのだろう。
『ちゃんと冷やしてるから、痛くないス。どうせ仕事で開けなきゃなんだから、助けると思って』
 思い切り口の両端を上げて笑うと、彼の細い喉を、唾液が滑り落ちていくのがわかって、思わずその喉元に伸びそうになった手をぎゅっと握った。
 黒子は肯定の言葉の代わりに一つ頷いて、
『行きますよ』
 黄瀬に、というより自分に言い聞かせるように呟いてから、手に持ったピアッサーを思い切り握った。
 黄瀬の耳にその音は大きく響いて一瞬肩がすくんだが、きっとそれは耳に直に響いた音だからで、外からはたいしたことないのだろう。黒子はピアッサーを耳から離して、安堵したようにゆっくりゆっくり息を吐いた。
 静かに落ちていく強張っていた彼の幅の狭い肩に、今度は手が伸びるのを止められなくて、誤魔化すしかないから、無駄に力強く抱き寄せて
『やっぱちょっと痛かったス』
 抱き寄せた肩が小さくはねたような気がした。気のせいかもしれない。そんな微かな動き。
『・・・すみません』
『ウソ。ほんとは全然痛くなかった』
 今度は応えてはくれなかった。けれど腕から逃げようともしなかったから、そのまま暫くそうしていたのだけれど。
 ファーストピアスは、彼の瞳と同じ、深く澄んだブルークォーツ。中学生のファーストピアスには余りに贅沢だったかもしれないけれど、どうしても、どうしても刻み付けたかったのだから仕方がない。

僕の女神。君におぼれてしまいたい

 もちろんそんな石の名前を、彼に暴露してしまえるほどにまだ大人ではないし、秘めてしまえるほど子供でもなかった。
『黒子っち』
『はい』
『黒子ち』
『・・・なんでしょう』
『黒子』
『・・・』
『黒子』
 言葉を重ねるたびに、腕に力がこもるのが自分でもわかって、このままではこの体をつぶしてしまうかもしれないと思いながらも、どうしても、どうしても離すことはできなかった。
『テツヤ』
『はい、涼太くん』
 思わず息を呑んで、腕の中の顔を覗き込まずにいられなかった。
覗き込んだ瞳があまりに穏やかに凪いでいるから、少しばかり悔しくて、動揺させてみたいと、思ったのは確かだけれど。
太陽でも飲み込んだのかもしれない。海の女神の贈り物は、このやさしく残酷な少年ではなくて、真っ赤に滾る醜い熱塊をまるごと一つ。どうせなら、もっと穏やかなものが欲しかった
現実に引き戻すには充分な、夏の太陽が酷く暑い。体力にも血の濃さにも自信のある健康優良児なのに、熱にとけて眩暈がした。
詰まった肺が苦しくて、吐き出した息がいやに自虐的で思わず笑い声が喉から落ちる。
 彼は後悔したのだろうか。
 黒子のクラスメイトから得られた情報は、黒子が全寮制の私立中学に転校したということだけ。学校名も聞いたけれど、ずいぶん遠くにある学校だということしかわからなかった。一人前に金を稼いで、一人で立っているようなつもりだったのに、その学校に押しかけるには、十分すぎるほどに、中学生という生温い鎧は邪魔だった。彼の影を縫いつけて、きっとそこへ行くことはできないだろうという事実だけが、波のように押し寄せてきた。

 青い空を見上げながら、あまりにかんと高いその青は、同じ青なのにずいぶんと彼とは違うのだなと、もの寂しさすら感じない。
 足元が音を立てて壊れる。
 必死で築きあげてきた、頑なで脆く狭い世界が、がらがらと音を立てて壊れていく。
 左耳が重い。

 彼は後悔したのだろうか。
 少なくとも黄瀬はしていないのだけれど、きっとそれでは意味がないのだと。




もしも後悔させたのなら、ここから飛べば許されるのか














                          終幕
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[ 2015/10/20 22:31 | Comments(0) | 黒バス ]

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